読書

篠原一『現代日本の文化変容』れんが書房、1971年の中から、「『全日制市民』の可能性」を読む。
 これまで価値を貶められてきた家庭人たる主婦やそれ以外の仕事人ではない学生や老人などこそ、「全日制」の市民なのだ、と説くこの文章は、今読んでも十分面白い。
 フェミニズム(の政治理論)との関係では、女性の特殊性に価値的優位を認める議論のラインとも言えるが、子育ての経験そのものを直接に市民性に結びつけるエルシュタインなどの母性主義的な議論とは異なり、女性の生活人としての経験を政治に結びつける論理的回路に気を配っているように思える。
 時代的には、ヨーロッパでは、社会民主主義批判のニュー・レフトがいろいろ出てきたころで、そういったヨーロッパの動向とも歩調が合っている(という言い方は失礼すぎるが)。例えば、クラウス・オッフェの脱商品化論なども、ちょうど同じ時代に出てきている。
 もちろん、男女の特性論的論調が強すぎるとか、問題もあるのだろうけれども、論じられている内容は、今でも大いに示唆的であるように思える。