お買い物

 数日前に買っていたのですが、書くのを忘れていました。

日本政治を比較する (日本比較政治学会年報)

日本政治を比較する (日本比較政治学会年報)

 この学会には、先日、この年報の発行と微妙なタイミングで入会申し込みをしたのですが、この年報は送られてくるのかこないのかわかりません。もう買っちゃったので、届いてもそれはそれでなんですけども。
 ひとまず大嶽秀夫さんの論文だけ読みました。昨年度の大会での報告は直接は聞いていないのですが、噂によるとなかなか物議をかもし出すものであったとかなかったとか。でも、今回の論文は、その時の報告とはかなり内容が異なるのではないかと推測しています。
 いわゆる「レヴァイアサン第一世代」の日本政治分析の特徴を、「当事者」が解明するという内容は、大変興味深いものでした。とくに、「レヴァイアサン第一世代」(L1)は、因果関係ではなく、パターン認識あるいは構造分析を特徴とするという指摘はそのとおりであろうと思われました。
例えば以下のような叙述。

今日の比較政治学、とりわけL1の比較分析においては、こうした(因果関係の抽出以外の)理論的作業は大きな意味をもっている。この点が必ずしも日本の政治学者、さらには世界の政治学者によって自覚されていないと考えられるので、とくに注意を喚起しておきたい。

日本政治研究者は、一方で、政策領域ごとの分析に特化し、サブ・ガヴァメントの国際比較に向かっている。他方で、政治経済学的関心から、政府と市場の関係の構造に焦点が当てられ、その国際比較が盛んである。しかもいずれの研究方向も、狭義の因果関係の分析に過度に傾斜している。政策的領域を横断する構造的特徴には、関心が向けられていないのである。以上の傾向はアメリカにおいても同様である。

 また、注での次のような指摘も、社会的・構造的権力にも関心を向けてきた大嶽さんであれば当然ともいえますが、興味深いです。

ここでいう、ジェンダーや障害者差別、部落差別の問題は、表面的には「周辺」の問題を扱っているようにみえるが、実は、非政治化した多元的システムにおいては、「中心」に位置する分析課題である。

 大嶽さんの本の中では、初の本である下記のものが、やはりイチオシでしょうか。といっても、正直、最初に読んだ時は、その意義がよくわかりませんでした。授業で多元主義についても話すことになって読み直してみて、初めてこの本がしっかりと構築された本だということがよくわかりました。

 それから、下記の本の中の僕の学部時代のゼミの先生についてのチャプタも、僕にとっては大変印象的でした。
高度成長期の政治学

高度成長期の政治学

「なぜトルーマンではなくて、ベントレーだったのか?」という問題です。
 もう一つ、研究本体とは直結しない話で恐縮ですが、僕は大嶽さんの本の「あとがき」が大好きですw。『現代日本の政治権力経済権力』の初版と増補版での二つのあとがきの違いは、結婚・子育てで喜怒哀楽している僕には大変印象的でした。他にも、あえて常識に逆らったかのようなあとがきの文章を読むたびに、かつては体制肯定的と非難されたであろう大嶽さんの「ラディカルさ」が感じられるよう思いました。僕も、こういう「ラディカルさ」を見失わない人間でありたいと願っています…と書くと言いすぎでしょうか。