帰国一年

気がつくと、在外研究から帰国して一年が経っていました。
早いものです。
 帰国して最初の半年は、あちこちの学会や研究会で、在外研究中に行った研究の成果を発表させていただいていました。その後も含めて、学会報告は、この一年間で3回。在外研究に行く前は学会報告は2回しかしたことがありませんでしたので(なお、討論者や司会はもっと多くやっています)、学会報告だけで言っても、わずか一年間で、それまでの通算を超える回数をこなしたことになります。これらの発表をいろいろとやっていたので、それなりに研究を行っている感じではおりました。
 でも実際には、帰国後は、研究には十分な時間を割くことができていませんでした。授業準備もありますし、学内運営の仕事もありますから、それはある意味では当然です。ただ、特に学内運営の方では、久しぶりのことで勝手がわからないところで、新たに始まった英語での学部授業プログラムの責任者的なポジションに就いたため、戸惑いとともに、時間と意識を取られることも多かったように思います。
 後半の半年は、日本での仕事に慣れてきたと言えば慣れてきました。ただ、やっぱり対応しなければならない事柄は多く、やはり時間的にも精神的にも、あまり「研究モード」になることはできませんでした。学内運営の仕事も、上記のG30以外にも責任者的なポジションがさらにいくつか増えました。結局、研究としては、実質的には、5月の政治思想学会報告のペーパー執筆・報告くらいしか、取り組むことができなかったように思います。
 さらに、夏休みも、引っ越し、採点、集中講義、学内運営の仕事などのため、やはり研究には十分に時間を割くことができないまま、今に至っています。
 自分としては、少なくともこの一年間は研究ができなくても仕方ないのだろうと思ってきたところがあります。何しろ、いろいろあり過ぎたのですから。 でも同時に、「仕方ない」と思っていると余計に何もしなくなるという面があるのだろうということもわかっているつもりです。今後、英語の授業の担当もありますし(これはなかなか大変なことなのですが)、学内運営の仕事だって減ることはないと思います。大学は、90年代後半以降、さんざん「改革」を行ってきたように思いますが、それでもいっそうの「改革」が訪れるであろうと思われるからです(余談ですが、日本では、五月雨式に「改革」が行われることとセットで、それを「やめる」ことができないことが、「改革」のしんどさを増やしているように思います。まあ、それは今に始まったことではないだろうということもわかっているつもりなのですが)。だから、今後も年だけは確実にとり、知力も体力も衰えていく中で、それでも自分が「研究者」としてやっていくためには、これまで以上に、「仕方ない」と思うのではない姿勢が求められるのでしょう。
 実は、自分が必ずしも研究ができていないのには、別の理由もあると感じています。それは、英語で論文執筆を行うべきなのに、それに取り組むことができていないことです。いや、もう少し正確に言うと、「英語論文を書く」ということが今の自分には一番大事だとアタマでは思っているのに、それができていない現状があり、かつ、その現状を英語論文が書けない口実にしている(忙しいんだから仕方ない)ことで、ますますモティベーションが上がらない、とこんな感じでしょうか。でも、忙しい中でも英語論文を書いている方もいらっしゃるので、本当は全然言い訳にならないんですけどもね。
 と、帰国後一年経過を懐かしむ(?)だけのつもりだったのですが、ついつい、反省と、それにとどまらない愚痴的なエントリになってしまいました。そういうことばっかり言っていてもロクなことはないことも経験上わかっているつもりですので、ちゃんと前を向いて進んでいきたいと思います。