教科書を作るということ

いろいろな経緯があり、現在、いくつかの政治学の「教科書」の執筆・作成に関わっています。どれも、3〜4名で一冊書くタイプのもので、かつ、「教科書としても使える」ではなく、明確に「教科書」として刊行されるものです。面白いことに、僕が最年長のものもあれば、最年少のものもあり、ほぼ同年代のものもある、という具合になっています。全くの偶然ですけれども。
正直、自分には「教科書執筆」などというものは最も似合わないと思ってきました。似合う似合わないというよりも、そういうものを書くことはできないだろうと思ってきた、という方が正確かもしれません。
それにもかかわらず、色々な経緯で教科書執筆に関わることになったわけです。おかげで、いろいろ大変なことは、もちろんあります。何しろ、長期休みごとに、複数の教科書の担当箇所のドラフトを書かないといけません。一つのプロジェクトだけならばなんとかなるけれども、複数となるとそう簡単にはいきません。元々計画性ゼロですので、なおさらです。
ただ、そうは言っても、書いていると時々、自分の思考や書いてきたことをまとめるよい機会かも、と思える時もあります。もちろん、自分の無知や頭の中の未整理を痛感させられ、ため息をつき困り果ててしまう時間の方が多いのです。それでも時々は、「あ、自分はこういう風に政治/政治学を考えてきたんだな」「やっぱり、こういうことは書いておかないと、自分の政治学のイメージと合わないな」と思う時があり、それで思い切って、教科書ということを忘れるわけではないけれども自分なりの政治学理解が出るような書き方をしています。いや、してしまいます。
いずれもまだ完成までにはしばらく時間がかかります。いつまで続くのかと思うと、やっぱり大変です。でも、こうやってこれまでに自分がやってきたことが整理されることで、次に進めそうな気もしてきています。というわけで、何とか頑張りたいと思います!
もうちょっと作業が進んだら、もうちょっと具体的な情報も出せると思いますが、今はこのくらいで。