読書・吉田2014

 途中で止まっていた吉田徹『感情の政治学講談社選書メチエ、2014年、を読了。個人的には、第3章「『間』――関係性の政治で新自由主義の政治を置きかえる」のところ、特にクライエンテリズムの再解釈の試み(と読みましたが)が特に面白かった。

感情の政治学 (講談社選書メチエ)

感情の政治学 (講談社選書メチエ)

 以下はあくまでざっと読んだ段階での「感想」レベルのものであって、きちんとした検討に基づいてはいないのだけど(ということをご理解の上、お読みいただきたいのだけど)、疑問としては、著者の言う(感情に基づく)「関係性」と政治との関係はどういうものなのか、ということがある。つまり、「関係性」が「政治」そのものなのか、それとも「関係性」は「政治」の条件なのか、この点が少々わかりにくいように思うのである。
 といっても、確かに第1章は「政治の条件」であり、最後の第6章は信頼がやはり政治の条件という議論を行っているので、全体的には、著者にとって「関係性」(あるいはそれを形成する「感情」)は政治の「条件」なのだろう。ただし、先ほど面白いと言った第3章では「関係性」自体が「政治」であるかのような書き方も見られるように思われる。
 この話がなぜ重要なのかというと、「政治」と「関係性」とは緊張関係にある場合もあり得ると思うからである。たとえば、第6章で示唆されているように、「信頼」が存在する方が難しい政策もより実現可能になるかもしれないが、しかし他方で、「政治」とは、そのような好都合な条件が存在しない場合でもなんとかしなければならないような活動でもある。言い換えると、著者は合理主義=個人主義モデルを「関係性」モデルによって置きかえることによって、集合的な行為の最も難しい部分を前政治的な要素に依拠することによって乗り越えようとしている(あるいは、結果的にそうなっている)のかもしれない。
 このあたりがちょっと気になったところである。このへんの話をする場合は、本当はもっと精査しなければならないのだけど、あくまで「感想」ということでお許しを。