もしも

 子どもたちが大きくなってきて、あまり手がかからなくなってきて、時々思うことがあります(前にも書いたかな)。
 もし仮に、子どもたちが将来彼らの子どもをもつことがあったとすれば(注:これはもちろん仮想の話であって、自分の子どもたちが子どもをもつかどうかは、もちろん全くわからないことです。あくまで仮想の話です)、その時にはきっと、たまには、僕は彼らの子ども(つまり、僕にとっての孫)を連れてどこかに遊びに行くことがあると思うのです。
 時々思うことというのは、その時、僕は何を思うだろうかということです。
 僕の子どもたちが今よりもっと小さかったころ、子どもたちを遊びに連れて行った時にはよく、自分が子どもの頃を思い出していました。動物園に行けば、自分が子どものころに行った動物園のことを、遊園地に行けばその時の遊園地を、というわけです。そうやって、子育てをしながら、自分の人生を、そして自分の親のことを振り返っていたのでした。
 しかし、未来にもしも自分の子どもの子どもを連れてどこかに行くことがあったならば、その時に思い出すのはきっと、僕自身の子どもの時ではなく、子育てをしていた頃の僕と妻と子どもたちのことだろう、と思うのです。別の言い方をすると、その時にはもう、自分自身の子ども時代のことはあまり振りかえらないだろうなと思うのです。
 自分自身の子ども時代については、一回子育てをした時点でもう十分に振り返ってしまったからでしょうか。それとも単に、歳を取ってから思い出すには、自分の子ども時代は、あまりにも昔のことになってしまっているだろうからでしょうか。
 理由はよくわかりません。しかし、その未来の自分には、自分自身の子ども時代を振り返らなければならない理由はもう存在しないような気がするのです。