読書

砂原さんの『大阪』を遅ればせながら読了。

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)

 近年の大阪をめぐる政治動向を、大阪の都市としての歴史的な展開という文脈の中に位置づけた本。つまり、橋下氏などの「大阪都構想」が決して突飛な話ではなく、大阪(と大都市)の長年の「都市官僚制の論理」の延長線上にあることが明らかにされる。「都市と国家」という政治学的なテーマを正面に据えた本としても、大阪という都市についての歴史的叙述としても(かつ、今後の展望論としても)興味深く読める本。それは、著者の研究者としての、そして著述家としてのセンスのなせるわざなのだろうなあと思う。
 著者は第5章で、今後の「大都市のゆくえ」を「都市官僚制の論理」と「納税者の論理」という二つの論理の相克という観点から論じている。あえて疑問を呈するとすれば、この二つの論理の概念化の仕方についてだろうか。前者が、まさに本書全体で明らかにされているように明治以来の大都市/大阪にずっと脈打っている論理であるのに対して、後者は、205-206ページあたりの記述から、主に1980年代以降の「新自由主義」の論理だとされている。つまり、前者が現代都市にある程度「普遍的」であるのに対して、後者は長く見積もってもここ20〜30年のなおも時代限定的であるかもしれないものである。このように二つの論理の時間的射程は異なっている(もちろん今後後者が同程度の時間的射程を獲得する可能性はそれなりにあるのだけれど)。
 このことは、大都市を見る場合に、この二つ以外の論理ももしかしたら重要(だったの)ではないのか、という疑問をもたらすかもしれない。たとえば、革新自治体に関する著者の評価は、この二つの倫理に基づいてなされているというよりも、むしろそれが個別利益ではなく、より都市全体の公共的/集合的な課題(としての環境保持など)を追及したことに求められているように思われる。著者は、革新勢力については、「都市官僚制との距離」(62頁)という解釈を与えている。だが、革新勢力は「納税者の論理」に依拠したわけではない。これは、上記のように「納税者の論理」は80年代以降のものと考えられているから当然なのだが、それだけに「都市の論理」の類型としては、まだ「取扱注意」なのかなと感じられた。
 それから、「終章」で興味深かったのは、首長のリーダーシップをという(近年流行の)トーンでは必ずしもないところである。上記の二つの論理を調停するために、著者はむしろ議院内閣制的な、政党間競争の下で「公共性」が生まれるような地方政治のあり方をやや控えめな形であるが提案しているように思われる(214頁以下)。