The Oxford Handbook of Deliberative Democracyの刊行

 このたび、Andre Baechtiger, John S. Dryzek, Jane Mansbridge, and Mark E. Warren (eds.) The Oxford Handbook of Deliberative Democracy, Oxford University Press, 2018, が刊行されました。私は、Beibei TangとBaogang Heと共著で、'Deliberative Democracy in East Asia: Japan and China' の章を執筆・寄稿しました。

The Oxford Handbook of Deliberative Democracy (Oxford Handbooks)

The Oxford Handbook of Deliberative Democracy (Oxford Handbooks)

  • 作者: Andre Bachtiger,John S. Dryzek,Jane Mansbridge,Mark E. Warren
  • 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr
  • 発売日: 2018/11/06
  • メディア: ハードカバー
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 執筆については、いろいろ反省もあります。共著の仕上げは難航しましたし、「日本担当」でしか書けなかったとも言えます。しかし、とにもかくにもこのハンドブックに著者として参加できたことで、世界の熟議民主主義研究者コミュニティに、たとえ片隅であっても位置を占めることができたのではないかと思います。 2009年~2011年にオーストラリア国立大学で在外研究で滞在した時に、「いつかは、この研究者コミュニティの中に入ることができれば」と思っていました。その願いは、少しだけ適ったような気がします。もちろん、まだまだ課題はあるのですが、今は素直に喜びたいと思います。

畑山敏夫先生

 この3月で畑山敏夫先生が佐賀大学を定年退職された。フランス政治、とりわけフランスの緑の党や「国民戦線」の研究を長く行われてきた先生である。こんなところにこんなことを書かれても、先生はさぞかし迷惑に思われるかもしれないけれど、ひとことふたことだけ述べさせていただきたい。
 私が畑山先生に最も直接的にお世話になったのは、畑山先生と丸山仁さん編集の『現代政治のパースペクティブ――欧州の経験から学ぶ』(法律文化社、2004年)の執筆者に混ぜてもらったことである。と言っても、私に直接に声をかけてくださったのは、大学院の(それなりに上の)先輩にあたる丸山さんであった。とはいえ、編集会議では、畑山先生のとてもソフトな進行に随分ほっとさせていただいたことを、昨日のことのように覚えている。
 『現代政治のパースペクティブ』は、私が初めて執筆に誘っていただいた本だった(同時期に共編で『ポジティブ・アクションの可能性』ナカニシヤ出版、2004年、という本を出したが、こちらは自分(たち)での企画)。そういう意味で、とても光栄に思った企画だった。同書に寄稿した拙稿「民主主義の新しい可能性――熟議民主主義の多元的深化に向かって」は、丸山さんから「現実を意識した文章を」と言われて、私なりにそういう意識で書いたものだったが、思っていた以上には読んでいただいたような印象がある。「あの本で読みました」みたいなことを言われたことが何度かあった。その後、この文章は、加筆修正のうえで、拙著『熟議の理由』(勁草書房、2008年)の第5章となった。こういう事情で、畑山先生の下でできた『現代政治のパースペクティブ』は忘れがたい本となっている。
 畑山先生とは、また別のご縁(?)もある。私は、その頃あるいは学部・院生時代は、今よりもずっとヨーロッパ政治に関心があるつもりだった。また、ドイツ史研究者である母の影響もあり、私は故・山口定先生の書かれたものには親しんでいた。畑山先生は、その山口先生の弟子筋(「山口組」!)にあたり、また、(これは全くの偶然だが)母が同僚になったこともあって、勝手に何となく親しみを感じさせていただいていたところがある。学会等でお会いすると、いつも独特の(?)柔らかい口調で話しかけてくださることを、ありがたく思っている。
 そんな畑山先生が大学を退職されたことに、多少の寂しさを感じるところがないわけではない。でも、きっとこれで研究をやめたとおっしゃるわけではないだろうから、また学会などでお会いできることと思っている。それでもひとまず、長年お疲れさまでした。
 

現代政治のパースペクティブ―欧州の経験に学ぶ

現代政治のパースペクティブ―欧州の経験に学ぶ

現代フランスの新しい右翼―ルペンの見果てぬ夢

現代フランスの新しい右翼―ルペンの見果てぬ夢

フランス緑の党とニュー・ポリティクス――近代社会を超えて緑の社会へ

フランス緑の党とニュー・ポリティクス――近代社会を超えて緑の社会へ

フランス極右の新展開―ナショナル・ポピュリズムと新右翼 (国際社会学叢書 ヨーロッパ編)

フランス極右の新展開―ナショナル・ポピュリズムと新右翼 (国際社会学叢書 ヨーロッパ編)

頂きもの

生澤繁樹さんからは、大著『共同体による自己形成――教育と政治のプラグマティズムへ』春風社、2019年、を頂きました。どうもありがとうございます。「教育と政治」に関心を持つ人にとっては必読ではないかと思います。

共同体による自己形成――教育と政治のプラグマティズムへ

共同体による自己形成――教育と政治のプラグマティズムへ

頂きもの

1)寄稿者の伊藤恭彦先生から、上村雄彦編著『グローバル・タックスの理論と実践――主権国家の限界を超えて』日本評論社、2019年、を頂きました。どうもありがとうございます。伊藤先生は、「グローバル・タックスの哲学的基礎――私たち相互の倫理的関係とグローバル・タックス」を寄稿されています。

グローバル・タックスの理論と実践 主権国家体制の限界を超えて

グローバル・タックスの理論と実践 主権国家体制の限界を超えて

2)寄稿者の松尾秀哉さんと松元雅和さんから、福井英次郎編『基礎ゼミ 政治学』世界思想社、2019年、を頂きました。どうもありがとうございます。松尾さんは「どこまでが地方の領分か?――地方自治と分権改革」、松元さんは「民意はなぜ尊重されるべきか?――民主主義の価値」を、それぞれ執筆されています。

基礎ゼミ 政治学 (〈基礎ゼミ〉シリーズ)

基礎ゼミ 政治学 (〈基礎ゼミ〉シリーズ)

3)寄稿者の横溝大さんから、南野 森編『〔新版〕法学の世界』日本評論社、2019年、を頂きました。どうもありがとうございます。横溝さんは「国際私法」の章を執筆されています。

新版 法学の世界

新版 法学の世界


4)岡崎晴輝さんからは、以下の2本の論文を頂きました。どうもありがとうございます。
・岡崎晴輝「政権選択論の勝利――『政治改革』の再解釈」『政治研究』第66号、2019年3月、33-54頁。
・Okazaki, Seiki "In Defense of Proportional Representation with a Limited Majority Bonus," 『法政研究』第85巻第3・4号、2019年3月、pp. F1-F19。

読書

インターネット関係をいくつか。

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

↑なかなか勉強になる。
#リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか

#リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか

↑『インターネットは民主主義の敵か』(邦題)以来、おなじみの(?)サンスティーンの本の最新版。
閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義

↑こちらも、サンスティーンの本と共通するメッセージを発信。

お買いもの

最近のお買いもののいくつか。

ハロルド・ラスキの政治学: 公共的知識人の政治参加とリベラリズムの再定義

ハロルド・ラスキの政治学: 公共的知識人の政治参加とリベラリズムの再定義

↑広島出身の大井さんの本が刊行。
質的研究の考え方―研究方法論からSCATによる分析まで―

質的研究の考え方―研究方法論からSCATによる分析まで―

貿易戦争の政治経済学:資本主義を再構築する

貿易戦争の政治経済学:資本主義を再構築する

思想 2019年 04 月号 [雑誌]

思想 2019年 04 月号 [雑誌]

↑とりあえず齋藤純一先生の論文などを。
平成の終焉: 退位と天皇・皇后 (岩波新書 新赤版 1763)

平成の終焉: 退位と天皇・皇后 (岩波新書 新赤版 1763)

↑上の2冊は、特に妻が読むかなと思って。

論文「『教育政治学』の射程」の刊行

 論文「『教育政治学』の射程――『政治/政治的なるもの』と『教育/教育的なるもの』との区別の導入を通じて」『法政論集』(名古屋大学)第280号、2018年12月、が刊行されました。上記論文タイトルをクリック/タップした先から、ご覧いただけます。本稿は、日本政治学会2017年研究大会での報告ペーパーを修正したものです。
 小玉重夫先生が提唱する「教育政治学」について、それがどのくらいの研究プログラムとしての広がりを持つのかという問題を、「政治/政治的なるもの」と「教育/教育的なるもの」という区分を導入することによって探求しました。