同窓会など

 正月期間中に、出身高校の同級生の同窓会があった。卒業30周年(!)を記念してということで企画されたらしい。はがきを受け取った時には、迷わず「参加」と答えたものの、いざ当日が近づいてくると、「大丈夫かな」という不安が半分くらいになっていた。ほとんどの同級生とは卒業以来まさしく30年間会っていない。バスケットボール部(「班」と呼ばれていたが)のメンバーとは卒業後にも何度か会ったことがあったけれど、最後に会った時でも、もう15年くらいは前である。それに、卒業した高校は中高一貫校で、僕のように高校からの入学組も(当時は)3分の1くらいはいたものの、学校の「カルチャー」は中学からの進学組が担っていた(と、僕は思っている)。そのことを意識した時、少しひるんだのである。また、そうでなくとも、中高6年間一緒ならば「よく知っている」かもしれないが、高校3年間だけだと「あなた誰でしたっけ?」となるのではないか、ということもあった。とにかく、だから少し逡巡し始めたのである。
 その逡巡は、同窓会中も完全にはなくならなかった。これには、バスケットボール部の人たちの参加が少なかったというのもあるけれど、「自然にできる話の輪」の中にいるのは、少し難しい感じがあった。もっと「今何をしているのか?」という話を詳しく聞けばよかったんだろうな、と今では思う(でも、どこまで立ち入って聞いていいかって、悩むじゃないですか)。
 それでも、やっぱり参加してよかったと思った。思っていたよりは覚えてもらえていたし、話してみると「へえ~」と思うことも多かった。みんなそれぞれに立派になっているのである(もちろん、同窓生400名中70名程度の参加だったから、ある種の「バイアス」はあるだろうけれど)。僕には中学から上がった人達はみんな輝いて見えていたし、その印象は間違っていたわけではないけれども、それでも、高校に上がっていろいろ苦労があったのだという話も聞くことができた。「高校から入って最初の1年半は、『ダーク・グレー』な時代だったし、中学からの進学者との違いも色々感じた」と話すと、「外から来るとそういう風に感じるんじゃねえ。でも、最終的にはいい学校だったじゃろ?」と言ってくれた、ある(中学から上がった)同級生の話は、とても印象に残った。「うん、そうだね」と素直に言うことができたので。また、思いがけず、政治学に関心を持ってくれる同級生もいた。さらに、8クラスの担任の先生方の多くも参加してくれて、先生方の「人生」を垣間見ることができるお話を聞くことができたのもよかった。私立の学校だから、一度着任したらずっといるのだと思っていたけれども、実は必ずしもそうでもないのだということもわかった。全体として、やっぱり参加してよかったなと思うことができている。
 別の日には、高校を訪ね、バスケットボール部の顧問の先生にお会いすることができた。先生は、僕が入学したころはまだ着任して1~2年程度だったので、まだ「現役」でお勤めなのだ。とはいえ、お会いするのは恐らく15年ぶりくらい。アポなしでの訪問には、やはり少し逡巡もあった。でも、お会いした瞬間に「おお~、久しぶり」と言ってくださり、とてもうれしかった。教えてもらった者というのは、先生が覚えてくれているだけでうれしいものなのだと、あらためて思った。
 以前には時々書いていたけれど、僕は高校時代のバスケットボール部には、本当に感謝している。それには、中学・高校・大学でバスケットをやった中で、唯一高校だけが「悔い」がほとんど残っていないということも関係している。悔いがないことの理由の一つは、成績だ。僕たちのチームは県でベスト4の一角を占めるくらいだったから、(もちろん上を見ればキリはないけれども)僕からすれば「強豪校」として十分だった。
 ただ、成績ももちろん「誇り」にはなっているけれども、より大切だったのは、チームメイトの存在だった。彼らは、練習を嫌がらず、試合中には味方が驚くようなプレイを決めてくる。試合中には、コートでプレイしながら何度も「おお~っ」と思っていた。彼らのプレイぶりは、今でもよく思い出すことができる。そういうチームメイトたちが、僕自身の意識やパフォーマンスを一段階上へと引き上げてくれたと思う。彼らは、尊敬に値する人たちだったなあ、とあらためて思う。
 50歳も近くなってから高校時代をあれこれ振り返り、かつ「自慢気」に語るのは、ちょっと恥ずかしい。それでも、今回、顧問の先生にお会いして、僕にとってこの高校でバスケットボールをできたことが大切なことだったと、あらためて思った(ので、ブログに書いている)。そのことを先生にもっときちんと言っておけばよかったな、とも思っているけれど(だから、やっぱりブログに書いている)。