高畠通敏先生との「すれ違い」

 高畠通敏先生の『政治学への道案内』(講談社学術文庫、2012年。原著1976年)と、『政治の発見――市民の政治理論序説』(岩波書店同時代ライブラリー、1997年。原著1983年)のいくつかの箇所を読む(読み直す)機会があった。前者については、恐らく部分であれきちんと読んだのは、恥ずかしながら初めてである。

 

 

政治学への道案内 (講談社学術文庫)

政治学への道案内 (講談社学術文庫)

 

 

政治学への道案内 (講談社学術文庫)

政治学への道案内 (講談社学術文庫)

 

 

政治の発見―市民の政治理論序説 (同時代ライブラリー (308))

政治の発見―市民の政治理論序説 (同時代ライブラリー (308))

 

 

 今回気づいたのは、これらの本で高畠先生が、「家庭と政治」についても論じられていることである。それも、「連続する同質的な場」(『道案内』291頁)、「このような政治社会の極小形態は、もちろん、家庭である。実際、家庭は、あらゆる意味で政治のモデルとして適切な条件を具えている」(『政治の発見』43-44頁)といった形で、つまり、家庭(家族)も、国家などと同型の一つの政治の場として理解する形で、論じられているのである。いくつか、国家レベルの政治とのアナロジーで家庭レベルの政治を論じている個所もある。私はかつて高畠先生の「市民政治」論をいくつか読んでいたし、また、『高畠通敏集』所収のいくつかの文章も興味を持って読んだことがあった。ただ、「家庭と政治」の話には、気づいていなかった(もしかしたら、書かれていたかもしれない)。

 今このことに気づくと、高畠先生とは「ニアミス」で終わってしまったことが悔やまれる。2004年の日本政治学会研究大会のことである。その時私は、「市民政治」をテーマとする分科会での報告を打診され、引き受けた。「市民政治」は高畠先生のテーマであり、討論者は高畠先生だった。ただ、その時の私は、当然(?)高畠先生が書かれたものに詳しかったわけではなく、そのころ考えていたフェミニズムと公/私区分の再検討をテーマに報告することにし、高畠先生の議論については、報告ペーパーの冒頭部で少し、当時刊行された『現代市民政治論』(世織書房、2003年)や『市民政治再考』(岩波ブックレット、2004年)の内容に触れた程度だった。そこで言われている「市民政治」は「私的領域」にも当てはまるのだろうか、といったことを書いたのではないかと思う。

 

現代市民政治論

現代市民政治論

 

 

 

市民政治再考 (岩波ブックレット)

市民政治再考 (岩波ブックレット)

 

 

 今にして思えば、「フェミニズムは公/私区分を必要とするのか?」という私の報告について、討論者としての高畠先生は、基本的に賛同してくださったのではないかと思う。私の報告は、公/私区分を空間的なものではなく、活動様式の区別として再構成し、かつ、「政治」を「公的な活動様式」として捉えることによって、「私的領域」にも「公的な政治」は存在し得る、と論じるものだったからである。これは、(議論の仕方が同一というわけではないけれども)『政治学への道案内』や『政治の発見』で「政治と家庭」について高畠先生が述べられていることと重なる。

 しかし、実際には、高畠先生のコメントを聴く機会はなかった。学会は2004年10月に開催されたが、先生はその年の7月に亡くなっていたのである。代わりに討論者として登壇されたのは、栗原彬先生だった。高畠先生をよくご存じの栗原先生には、上記に近いコメントを頂いたような記憶がある。ただ、高畠先生ご本人にはお会いできなかった。

 2004年の報告は、私にとって初めての学会報告だった。私が34歳の時で、今の政治学の若手が聞いたらびっくりするかもしれないけれど、当時は(おそらく)それほどおかしなことでもなかったのではないか。その最初の報告で、私はたでさえかなり緊張していたのだけれど、幸い、かなり多くの質問・コメントを頂くことができた。その時の報告論文は、その後雑誌『政治思想研究』第5号(2005年)に掲載され、さらに拙著『政治理論とフェミニズムの間』(昭和堂、2009年)の第3章となっている。こうしたことから、私にとっては忘れることのできない学会報告となっている。ただ、高畠先生との「すれ違い」も、「忘れることのできなさ」の一つの要因となっている。今にして思えば、テーマ的に先生と出会うべくして出会う場になるはずだった。しかし、すれ違いとなってしまった。

 あらためてご冥福をお祈りいたします。

 

政治理論とフェミニズムの間―国家・社会・家族

政治理論とフェミニズムの間―国家・社会・家族