「男らしさ」の問題

 僕が妻に強い言い方、トゲのある言い方をすると、彼女が「怖い」と言う時がある。そう言われると、「だけどさあ、はっきり言うべきことははっきり言わないとダメじゃない?」などと思う。
 でも、男性が強い言い方・攻撃的な言い方をしたり、不機嫌そうな雰囲気を見せたりしているのは、やっぱり「怖い」なあと思う時が、僕にもある。そうしている当の男性は、怒りや不機嫌さはもとより、単に「はっきりと(明確に)モノを言っているだけ」と思っているかもしれない。でも、それはやっぱり「怖い」のである。力強そうなと映る男性の振る舞いは、どこか「怖さ」を他者に伝えている。
 同じことは、学問・研究の世界でも言えるのではないかと思う。学問・研究の世界では、「厳しい批判」が推奨ないし当然視されている。でも、もしかしたらその「厳しい批判」というものが、「男性的な」振る舞いと重なっている可能性はないのだろうか。もしも「学問的な厳しさ」の名の下に、それを受ける相手に「怖さ」を感じさせているとすれば、その要因は「学問的」なものなのだろうか。しかし、このような疑問さえ、しばしば「いや、学問というのは、怖ささえ感じさせるほどに厳しいものなのだ。しかし、それを乗り越えなければならないのだ」といった話に回収されてしまう可能性がある。
 僕は、少なくとも「厳しさ」(その反対に、何かを「甘い」と認定してしまうこと)には慎重でありたいと思う。