あるバスケットボール選手のこと

 ここ数年、子どもたちがバスケットボールの試合を観たり、マンガを読むようになったり、実際にプレーする(次男はバスケット部だった)などのことがあり、バスケットのことを見聞きする機会が増えてきた。僕の場合、どうしても自分の昔のことを思い出すのだけれど、いつも気になることがあった。「北陸高校の西選手は、その後どうしたんだろう?」と。
 西俊明選手は、僕と同い年で、北陸高校でセカンドガードを務めていた。ポイントガードは、あの佐古賢一選手。能代工業に勝って全国制覇もした当時の北陸高校のスタメンの中で、西選手は、堅実だけど多分最も目立たない選手だった。何しろ、佐古選手とともにガードを務めていたのだから、脇役的になるのも当然かもしれない。
 でも、広島市立国泰寺中学校時代の彼は、本当にすごかった。国泰寺は、広島県では2位だったけど、中国地区大会では3位まで進んだチーム。中学時代に一度だけ対戦したことがあり、その時の西選手の印象は、「体育館なのに、地響きがして、砂煙が舞い上がるような感じ」(というほど、ダイナミックで激しいプレー)だった。彼以外の選手の調子が悪かったのか、なぜか僕たちは勝利できた。本当にまさかまさかだった。その後、北陸高校でスタメンとして活躍している彼を見た時には、本当にうれしかったし、「故郷のスター」としてとても誇らしい気持ちがした。
 高校卒業後の西選手の情報は、なぜか得られなかった。「いくら北陸高校の中では相対的に目立たなかったといっても、全国制覇チームのスタメンだよ?どうして?」とずっと思っていた。
 そうしたら、先ほどあるブログ記事にたどり着き、見つけることができた。このブログによると、高校卒業後にコーチ業の勉強のために渡米したのち、なんと21歳で亡くなられていたらしい・・・。
 このブログは、北陸高校のチームメイトだった東野智弥さんのもの。この記事にも、東野さんと西さんについてのことが書かれている。別の情報によると、佐古さんが広島ドラゴンフライズのヘッドコーチになったのも、西選手のお兄さんから誘われたかららしい。佐古さん、どうして広島に行ったのかな、と思っていたのだった。まさかこんなことだったとは。
 直接会ったのはたった一度だけなのに30年経っても忘れることのできない選手の情報を、こんな形で知ることになるとは思ってもみませんでした。ただただ、ご冥福をお祈りいたします。たった一回の対戦でしたが、あなたのプレーから受けたあまりにも強すぎる印象を、僕はこの先も忘れることはないでしょう。