読書・フィリップス/ピュー 2010

フィリップス/ピュー(角谷快彦訳)『博士号のとり方――学生と指導教官のための実践ハンドブック』出版サポート大樹舎、2010年、という本を読んでいます。大学院生のための本でもあるのだけど、サブタイトルにあるように、指導教員のための本でもあると思います。

博士号のとり方 学生と指導教官のための実践ハンドブック

博士号のとり方 学生と指導教官のための実践ハンドブック

 しばしば、「大学の先生は、研究の仕方は習っているけど、授業の仕方は習っていない(のに、見よう見まねで授業をやっている)」と言われます。が、院生の指導は、さらに「見よう見まね」的な部分が多いように思います。「見よう見まね」が悪いわけではないのだけど、どうしても自分の体験ベースになりがちで、同じ体験を共有できない人(院生)には無理な話になっている可能性も否めません。だから、この種の本などで、自分の体験を相対化する機会を持つことも大事だろうと思うのです。
 それはさておき、僕などが悩むケースの一つは、「どうすればいいですか」「これでいいですか」と(頻繁に)聞かれるケース。「いや、そんなこと聞かれてもね」と思う一方で、さりとて、「そんなことを聞いてくるようでは、院生として失格だ」などと言い放つわけにもいかないとも思うわけです。
 このようなケースについて、この本ではこんな風に書いてあります。「研究が進むごとに指導教官のところに行き、これで十分かどうか聞かなければならないとしたら、あなたは間違いなく博士号の水準に達していない。博士とは、プロ研究者の仕事の水準を自分で評価できる者に与えられるのだ」(51頁)。なるほど、そういう風に説明すればよいかと思いました。正確に言うと、「そんなこと聞かれてもね」と思う時には、つまりこういう風に思っているわけです。それを言語化してくれた、という感じです。
 ただし、院生が一方的にだめなのだという話ではもちろんありません。こんなことも書いてあります。「批判が厳しすぎると学生には好ましく受け止められない。大切なのはよい点があれば褒めることである。博士号取得者にインタビューした際、男女を問わずこの話題になると涙を流す人が多かった。博士課程というのは多くの学生にとって知的なだけでなく、非常に感情的な経験なのだ」。「学生は、自身の研究を自己評価し、努力と結果の乖離を自分で調節できるようになると、少しずつ指導教官のフィードバックを必要としなくなる。学生が自らの自己評価に自信を持つ。これは協力的な指導教官の、継続的で建設的な批判の賜物なのだ。学生はこの種の助けがなければ高い確率でやる気を削がれ、自信を失い、博士号取得まで辿り着けない不安に襲われる。また将来に大きく影響を与えかねない。」(222頁)。
 他にも、特に第11章には、指導教員の心得的なことがたくさん書いてあるようです。自分がどこまでできているか、自分自身を反省し、今後の指導に活かすよい機会と思って読書してます。