初心忘れるべからず

 拙著『熟議の理由――民主主義の政治理論』(勁草書房、2008年)の「まえがき」から、自分がどうして熟議民主主義を論じるのかについて述べた部分を備忘録的にメモ。自分が色々なことを言い、他者から色々なことを言われるうちに、初心を見失ってしまうことがある。しかし、初心忘れるべからず。

ただし、同時に私は、民主主義において「熟慮し議論する」こと、その結果として選好が変容することの重要性にもこだわりたいと考えている。一方で国家の制御能力の限界が明らかとなるとともに、他方で人々の間の共通理解・社会的基盤が衰退することによって、不確実性が増大しつつある現代社会においては、異論をたたかわせるだけではなく、それらを踏まえた上で、いかに新しい共通理解・社会的基盤を形成していくかということを考えざるを得ないと思うからである。異なる人々の間での、そのような共通理解・社会的基盤が形成できるとすれば、どれほど迂遠に見えようとも、熟慮し議論しながら、各自が自らの考えを少しずつ変えること(選好の変容)によってしか達成できないのではないだろうか。(ii頁)

ただし、本書について言えば、結果的に全体の「トーン」は、熟議民主主義の「望ましさ」よりも、その「不可避性」を強調するものとなっている。現代社会において、人びとは、熟議民主主義に関わる「べき」というよりは、関わら「ざるを得ない」のである。しかしながら……この「不可避性」という「トーン」こそは、私自身の次のような直観を反映したものと言えるかもしれない。すなわち、価値観が多様化し、場合によっては「分断された社会」と言えるかもしれないような現代社会において、それでも、他者とともに生き、なにごとかをなし、独善的ではないルールを作ろうとするならば、結局、対話・話し合いを行うしかないのではないか、と。このことが、様々な批判にもかかわらず、本書が必要な民主主義として熟議民主主義を論じる理由である。(iii頁)

熟議の理由―民主主義の政治理論

熟議の理由―民主主義の政治理論