マクダーモット 2008=2011

明日の院ゼミの予習で、ダニエル・マクダーモット「分析的政治哲学」デイヴィッド・レオポルド/マーク・スティアーズ編著(山岡龍一・松元雅和監訳)『政治理論入門――方法とアプローチ』慶應義塾大学出版会、2011年(原書2008年)などを読む。

政治理論入門―方法とアプローチ

政治理論入門―方法とアプローチ

マクダーモットの章は、(分析的)政治哲学と科学の共通性を強調する(もちろん違いも指摘するのだけど)ところに一つの特徴がある。その点で興味深かった所をメモ。
以下は、科学と政治哲学はどちらも仮定に依拠している点で共通していることを、興味深い言い方で表現している。

むろん、これら〔道徳的事実が存在するということ〕が仮定であるかぎり、それが偽であることが判明した場合、それにもとづくどのような理論も否定される可能性はある。しかしこの点に関しては、科学者もまったく同じ立場にいる。あらゆる科学理論は証明されていない仮定に依存している。その多くはきわめて理に適った仮定であるが、いずれにせよ仮定なのである。……(中略、改行、中略)……このようなことすべてについて、みずからの仮定が真であることを、科学者が『証明』することはできない――それは事実仮定なのであるから、それが偽であることが判明した場合、かれらの理論も否定される可能性はある。しかし、この可能性があるからといって、科学者が心配で夜も眠れなくなるわけではないだろう。これと同様に、道徳的事実など存在しないかもしれないという可能性があるからといって、政治哲学者が心配で夜も眠れなくなるはずもない。いかなる知的営みにおいても、成功を収めるためには、優劣を識別する知恵と、仮定を行う自信が必要なのである。(22頁)


また、以下の箇所は、政治哲学と「政治」(へのコミットメント)との違いを、またも興味深い言い方で表現しているところ。

この異論は政治哲学と政治を混同している。政治哲学が目的とするのは何かを実行させることではない――真理を発見することである。確かにその一環として、政治哲学者は自らの理論を強固に擁護すべきである。しかし、そうすることの動機は、何らかの政治目的のために支持を集めることではなく、その理論を試し、公の精査にさらすことであるべきである。こうした動機は、政治に関与する際の動機とは根本的に異なっている。後者の政治に関与する場合は、『私』が間違っているかもしれないことが問題なのではなく、むしろ私以外のすべての人々が真理を把握していないことが問題なのである。(34頁)