砂原さんの『大阪』を遅ればせながら読了。
- 作者: 砂原庸介
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/11/22
- メディア: 新書
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著者は第5章で、今後の「大都市のゆくえ」を「都市官僚制の論理」と「納税者の論理」という二つの論理の相克という観点から論じている。あえて疑問を呈するとすれば、この二つの論理の概念化の仕方についてだろうか。前者が、まさに本書全体で明らかにされているように明治以来の大都市/大阪にずっと脈打っている論理であるのに対して、後者は、205-206ページあたりの記述から、主に1980年代以降の「新自由主義」の論理だとされている。つまり、前者が現代都市にある程度「普遍的」であるのに対して、後者は長く見積もってもここ20〜30年のなおも時代限定的であるかもしれないものである。このように二つの論理の時間的射程は異なっている(もちろん今後後者が同程度の時間的射程を獲得する可能性はそれなりにあるのだけれど)。
このことは、大都市を見る場合に、この二つ以外の論理ももしかしたら重要(だったの)ではないのか、という疑問をもたらすかもしれない。たとえば、革新自治体に関する著者の評価は、この二つの倫理に基づいてなされているというよりも、むしろそれが個別利益ではなく、より都市全体の公共的/集合的な課題(としての環境保持など)を追及したことに求められているように思われる。著者は、革新勢力については、「都市官僚制との距離」(62頁)という解釈を与えている。だが、革新勢力は「納税者の論理」に依拠したわけではない。これは、上記のように「納税者の論理」は80年代以降のものと考えられているから当然なのだが、それだけに「都市の論理」の類型としては、まだ「取扱注意」なのかなと感じられた。
それから、「終章」で興味深かったのは、首長のリーダーシップをという(近年流行の)トーンでは必ずしもないところである。上記の二つの論理を調停するために、著者はむしろ議院内閣制的な、政党間競争の下で「公共性」が生まれるような地方政治のあり方をやや控えめな形であるが提案しているように思われる(214頁以下)。