森元監督逝去

サッカー元日本代表監督の森孝慈氏が逝去されたとの報道があった。
森氏は、1985年のワールドカップ最終予選進出の対韓国戦、国立競技場が(恐らく初めて)日本代表の試合で満員になった時の監督だった。
あの時、多分僕は直接テレビで見ていたはずで、正直、あまり勝てそうな気がしなかった。木村和司選手の有名なフリーキックでの得点でかろうじて一矢報いた、という感じだっただろうか。
でも、「ドーハの悲劇」以前に、日本代表が最もワールドカップ出場に近づいた時だったことは確かだし、その後、彼がいろいろと「改革」を行っていたことも知った。


森氏のことを書くのは、彼が高校の先輩でもあるからである。といっても、もちろん面識は全くないけれど。
我が高校は、昭和30年代には全国的な強豪だった。森氏は、そのころの卒業生で、ウィキペディアによると、全国大会で優勝もしているようだ。
僕が在学中の校長は、「わが校は、文武両道で日本一になるのだ」と時々言っていたけれど、彼にそう言わせた理由の一つは、きっとサッカー班の歴史にあったことだろう(当時はもう、県大会出場レベルくらいだったけれど)。


そんなわけで、僕にとっては、森「監督」は、母校出身の有名人の一人だった。
僕にとっては、「母校的なもの」(と僕が勝手に考えているもの)を象徴する一人でもあった。


ご冥福をお祈りします。