マーサ・ファインマンの『ケアの絆』(岩波書店、2009年)と、同『家族、積みすぎた方舟』(学陽書房、2003年)を再読も含めて読了。
- 作者: マーサ・アルバートソンファインマン,Martha Albertson Fineman,穐田信子,速水葉子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/03/24
- メディア: 単行本
- クリック: 15回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
- 作者: マーサ・アルバートソンファインマン,Martha Albertson Fineman,上野千鶴子,穐田信子,速水葉子
- 出版社/メーカー: 学陽書房
- 発売日: 2003/02
- メディア: 単行本
- クリック: 26回
- この商品を含むブログ (10件) を見る
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjoffamilysociology/21/2/21_249/_article
性的関係にある人々ではなく、ケアに関わっている人々を保障の単位と見なすべきだという議論そのものには、多分、僕はそれほど違和感がない。恐らく、違和感があるのは、現に存在する「ケアの絆」――それは、かなりの程度、メタファーではなく、実際の「母子」と想定されているのだが――に保障することが、「ケアをする人」を特定化し、しない人との社会レベルでの「分業」をかえって固定化してしまうのではないかということ、そして、その「分業の固定化」は、すなわち、男女間の非対称性の固定化ではないのかということ、だろう。
著者の「ジェンダー中立的」な法改革への批判はよくわかり、「ケア」の価値をまともに承認すべきだということもよくわかる((男性の)経済的貢献をケアそのものと等しい貢献と見なすことへの批判も)。しかし、それに対抗するために、「ケアをしていること」を保障の対象にしてしまうことは、上で述べたような社会全体のレベルでの「性別分業」を固定化してしまわないかという懸念を、やはり持ってしまうのだった。