ハーバーマス(高野昌行訳)『他者の受容』(法政大学出版局、2004年)より。
他者の受容―多文化社会の政治理論に関する研究 (叢書・ウニベルシタス)
- 作者: ユルゲンハーバーマス,J¨urgen Habermas,高野昌行
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 2004/11
- メディア: 単行本
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ここ〔バーンスタインの見解〕ではさしあたり、正義の問いは一定の自己理解・世界理解を持った人格によって「立てられる」こと、そしてわれわれはその問いをこの地平から理解することだけが語られている。しかし、われわれがこの所与の地平にとどまったままでもこの問いに「十分答えうるか否か」は、大きな問題である。私がユダヤ教徒あるいはプロテスタント、アメリカ人あるいはドイツ人としての自分のアイデンティティをはっきり確認しようとする限りでは、この個別的な地平を超越することは必要ないし、可能でもない。しかし、ボスニア難民やホームレスに対するわれわれの道徳的義務に関する問いや、新たなタイプの脅威(例えば「配偶者による暴力」)の規制はいかにあるべきかという法的問いにおいて重要なのは、あわれわれが互いに「ある集団のメンバー」としてだけではなく、地理的・歴史的・文化的・社会的に大きく異なる「他者」同士としても抱えることになる期待と要求の正当性なのである。したがって、この場合重要なのは、もはやある(固有のエートスによって特徴づけられる)集団のメンバーとしてのわれわれにとっての「善」ではなく、全員にとっての「正しさ」なのである。……こうした正義の問いを判定する場合、われわれが求めるのは、全当事者(そして全関係者)が相互承認という対称的条件の下での非強制的な対話において十分検討した上で同意するであろう、非党派的解決である。(カギカッコは邦訳原文では傍点)(306-307頁)
以下も、同様。
討議理論は道徳的問いと〔各人のアイデンティティに関する〕倫理的問いの区別を導入し、善に対する正義の優位を主張する。正義の問いの論理が継続的な地平拡大を要求する力となるからである。すなわち、各自のその時々の自己解釈・世界解釈という地平から抜け出し、各当事者は共有しているとされる道徳的観点にかかわる。この道徳的観点が、討議や相互学習といった対称的条件の下で、各人の異なるパースペクティヴの脱中心化を促進するのである。(307-308頁)
そこで問題は、感情を重視する論者が、どのようにして異なるパースペクティヴを受け止めることができるのか、ということになる、と。