「貧乏性」について

某さんがこのことについて書かれていたので、少し自分を振り返ってみることにした。
僕も基本的には依頼を頂けるとうれしくなってしまう性質である。というか、「光栄」だと思ってしまう。「喰らいつく」とまで言えるかどうかはよくわからないけど、しかし、非公式に頂いたような話でそのあとしばらく音沙汰がないと、「あの話、その後どうなりましたか?」などと、厚かましくも聞いてしまったことも何度かある。
「書く時は場を選んだほうがいいですよ」と「アドバイス」を受けたこともあったような(苦笑)。
ただ、僕には、「面倒くさがり」という性質もある。いや、こちらのほうが基軸を成しているような気も。とりあえず、基本的に「面倒くさい」のである。尊敬すべき人物は、のび太くんだ。ただし、頭はもう少しよくありたいし、ジャイアンスネ夫にいじめられるのもイヤなので、となると、のび太くんの定義から外れるかもしれない。まあ、要は、ごろごろしていたい、ということである。
この「面倒くさがり」気質が適度に作用するので、「貧乏性」に一定の歯止めがかかっているような気がする。
というわけで、僕の心性はたいてい「大変だけど、ありがたい話だからがんばろう」である。「面白くてたまらない」という、ただそれだけの理由で研究をしている、ということは、たぶんめったにない。雑誌や新聞や本で、「一流」な人々の「面白くてたまらない」話を聞くと、ちょっと憂鬱な気分になる。だから、自分が「一流」になることはきっとない。根本的な条件が欠けている。でも、「一流の次」くらいにはなれるように努力しているつもりだ。(前にも書いたことがあると思うが)「頑張っても一番になれるとは限らないが、二番くらいまでは行ける」だろうと思っているからだ。
なんだか消極的な話になったが、「光栄」を糧に頑張ることにも、いいことはある。昨日のエントリに書いた話でもあるが、「光栄」と思えるような人びとが、自分の力を引き出してくれるのだ。僕の経験では、そういう人は、その人とちょっと違っているタイプの議論を非難したり拒絶したりするのではなく、興味を持ったり面白がったりしてくれるものである。そういう人が、誰かの二番煎じではない、自分のスタンスで勝負せよと教えてくれるのである。


僕がうろうろしている「学界」(単一の「学会」ではない)がどのくらい閉鎖的であるのかは、よくわからない。非公募人事が常に単なる「コネ」であるとは限らないが、しかし、「ああ、そうやって次々決まっていくのね」という風景を見聞きすることもあるし、うらやましくなることもある。他方、うらやましくは全く思わない、閉鎖性ならではの話を聞くことも、ないではない。
それでも、尊敬できる研究者は、上記のとおり、どこか新しいもの、同質ではないもの、自分とは違うものを受け入れる気概と度量を持っていると、僕は感じている。だから、まあ、大丈夫なのではないかと(なんだかよくわからないけど)。
そんな風に思うのは、僕が鈍感だからかもしれない。思えば、院生・講師時代には一度も学会発表をしたことがなく、学会懇親会出席もゼロ、知っている先生など集中講義で来ていただいた先生くらい(それも、そのうちの多くの先生はこちらの名前など覚えていないだろう)だった。少なくとも、自己意識では、僕のいた大学院はかなり「独自な」風潮を持っていて、その「独自性」は斜陽気味のそれだったから、自分のやっていることに興味を持つ人がいるとは、あまり思えなかった。ほとんど指導教員の(自分の論文への評価だけでなく)学問的スタンスだけが頼り、というような感じだったと思う。
にもかかわらず、書いた論文を一方的に送りつけ、もうちょっと「成長」してからは、いきなり名刺を突き付けて挨拶したりしていた。顔なじみでない人に抜き刷りをおくっていはいけないとか、挨拶するのに誰かに介在してもらわなければいけないとか、そういう発想はほとんどなかったような気がする。前者については、受け取った側は、興味がなければほっとけばいいのだし、後者についても、よっぽど無礼な振る舞いをしなければ、挨拶くらいで悪く思われることはないだろうと(でも、「不用意な」発言は多かったかもしれない)。
研究の評価は、アカデミック・「コミュニティ」内での評価で決まる。アカデミックであっても「コミュニティ」だから、何らかの閉鎖的な性質を持つことは否定できない。それでも、「アカデミック」の性質を強く持つ「コミュニティ」であれば、閉鎖性を抑制できる術を持っているのではないか。そんな風に、楽観的に考えている。というか、自分がそういう振る舞いをしなければなと思っている(もう「いい歳」だから)。


え〜と、何を書こうとしていたのだったか。
我が「貧乏性」は、一方の「のび太くん的めんどくさがり」性質と、他方のよき/尊敬できる人々を参照基準とすることで、ある程度抑制できている、ということ、かな。