読書

何度も読んでいるのだけど、輪郭はわかるけれど、細かいところのつながりはよくわからないなあと痛感。

左派右派を超えて─ラディカルな政治の未来像─

左派右派を超えて─ラディカルな政治の未来像─

やっぱり用語がうまく整理されていないんではないかと思ったり。とりあえず、life politicsとgenerative politicsとを分けて、かつ、両方ともpoliticsと呼ぶところとか、それとは別に(?)対話的な民主主義を掲げたりするところとか。
そういう意味では、こちらのほうがシンプルなのだけど(それはより「政治的」だからですねえ)、こちらでは、「積極的福祉」の意味合いがより明確になったぶん、限定的になっているという風に理解できないかなあ、とか思ったり。というか、就労へのスタンスあるいは少なくとも力点の変化が認められるのではないかと思うのだが。
第三の道―効率と公正の新たな同盟

第三の道―効率と公正の新たな同盟

ついでにこれもチラッと読んでみた。
The Progressive Manifesto: New Ideas for the Centre-Left

The Progressive Manifesto: New Ideas for the Centre-Left

第三の道」での議論の方向は、基本的に間違っていなかった、とある。
こっちのDiamond and Giddensの章もざっと見てみた。それまでよりも「不平等」が強調されている感があるけれど、基本的なスタンスは『第三の道』から変わっていないように思う。
The New Egalitarianism

The New Egalitarianism



 ところで、理論とか思想とかをまとめて書くようなスタイルの論文で、同じようなものを参照して書いていても、面白いものとそうでないものがある。その違いは、もちろんいわゆる研鑽の「蓄積」の違いということなのかもしれないけど、某対談を読んだせいではないが、「センス」の違いというようなこともあるのではないだろうか。
 もちろん「センス」がいいか悪いかは、本人ではなくて、読者が決めるというか感じることだ。紹介の仕方、要所要所のまとめ方、力点の置き方、議論の展開、そして基本的な視角・・・ランダムに挙げただけではあるが、こういうところに「蓄積」だけではなくて「センス」も表れてくるのだろうと思う。
 いや、蓄積とセンスの二分法自体がセンスがない、と言われるかもしれないけれど。